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横浜地方裁判所 昭和30年(ワ)591号 判決

原告 平本喜文 外九名

被告 神奈川県

主文

被告は、原告稲永右門、同高橋祐吉、同後藤嘉一に対し、各金五千円及びこれに対する昭和三十年六月二十六日以降完済に至るまで、年五分の割合による金員の支払をせよ。

右原告等のその余の請求並びにその余の原告等の請求は、いずれもこれを棄却する。

訴訟費用中、原告稲永右門、同高橋祐吉、同後藤嘉一と被告との間に生じた分はこれを十分しその一を被告の、その余を右原告等の負担とし、その余の訴訟費用は、その余の原告等の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、被告は原告平本喜文、同日高進、同村山正道、同有泉正次、同稲永右門、同高橋祐吉、同山本瑞男、同小山実、同後藤嘉一に対し各金五万円、原告日本労働組合同盟全国金属産業労働組合同盟神奈川金属労働組合相模工業支部(以下原告組合という)に対し金七十万円及び右各金員に対する昭和三十年六月二十六日以降支払済に至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ、訴訟費用は被告の負担とする、との判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、

訴外相模工業株式会社(以下単に会社という)は、相模原市所在のY、E、D相模工場及び第八工場並びに横浜市鶴見区所在の鶴見工場等の米軍施設において、米軍の指示により軍用車輌の再生修理作業等に従事する従業員の労務を供給することを目的とする会社であり、昭和二十九年十二月当時右会社の従業員総数は約六千八百名であり原告組合はその中約五千三百名を以て組織されている労働組合であり、又原告組合以外の原告はいずれもその組合員であつた。当時右会社にはほかに同会社の従業員中約四百名を以て組織されている相模工業労働組合(以下第二組合という)及び従業員約八十名を以て組織されている相模工業統一労働組合(以下第三組合という)があつたが、右両組合は主として原告組合の活動方針にあきたらないとして、原告組合から脱退した者により結成されたものである。

原告組合は、昭和二十九年二月以来会社に対し、賃金の増額要求を行つて来たが、同年七月二十一日、同月一日以降職務給平均十三円増額を要求したところ、会社は同年十一月頃に至り、現段階において可能な賃上額は職務給平均約六円までである旨回したので、原告組合はこれを不満として、同月十一日神奈川地方労働委員会(以下地労委という)にそのあつ旋を申請したところ、地労委は、同年七月一日以降現行職務給を平均九円八十銭増額することなどの案を双方に示したので、原告組合はこれを受諾したが、会社は、右あつ旋案に対する回答期限である同月三十日正午までに回答せず、その延期を申し入れ、同年十二月二日に至つて、右九円八十銭中、八円三十七銭を職務給として増額し、残り一円四十三銭は、同年七月一日から昭和三十年一月末日までの分約二千円を一時金として支給する旨地労委に回答した。ここにおいて、原告組合は、右あつ旋案の完全実施を要求して、昭和二十九年十二月三日午前六時から九十六時間のストライキに突入することに決した。

そこで、原告組合は同月一日米軍契約監督官等に右ストライキ決行の旨を伝えると共に、同月二日には、その代表者近藤誠及び執行委員木場幸男が所轄相模原警察署長越前谷正雄(以下越前谷署長という)を訪れ、闘争経過を説明し、ストライキ決行の旨を伝えたところ、同署長は、原告組合に対し、ピケに関する注意事項として、一、ピケの設定に当つては、道路の交通に支障を及ぼすことのないようにすること、二、ピケラインにバリケード等障害物件を設置しないこと、三、ピケラインを必要以上の多数で固め、他の者の出入が事実上不可能な状況になるようにしないこと、四、米軍人及び米軍の車輌の出入を妨げないこと、五、米軍の車輌を日本人労組員が運転している場合、その日本人を説得する場合は平和的に行うこと、六、一般民間人などストライキに無関係なものの出入を阻止しないこと、又同一敷地内で作業をするストライキに無関係な他労組員に対し、協力を求める場合は、平和的な説得の程度を超えないこと、七、非組合員で就労を希望する者に対してなす説得行為は、あくまで労組法上正当な争議行為として認められているピケラインの平和的な説得の程度を超えないこと、八、ピケラインには適当に責任者をつけるよう希望する、九、紛争その他の事故があつたときは、速かに警察官に連絡すること、紛争を防止するため、情況によつて所要の警察官をピケの現場に派遣することがあるので了承されたい、十、以上の事項を所属組合員に周知徹底させることを希望する、旨申し渡したので、右近藤等は、原告組合としては、右の第七項目については応諾することができないが、その他については概ねこれを了承する旨答えた。

原告組合は、同年十一月二十六日文書を以て第二組合及び第三組合に対し、原告組合の前記賃上要求に理解ある提携と協力を求めて来たが、右両組合は、いずれも原告組合に対し、現段階においては、賃上のためストライキを決行することは時期尚早であるから同調できない旨の回答を寄せ、更に第二組合は、原告組合がストライキを決行することに決するや、同年十二月二日、原告組合に対し、文書を以て、第二組合員は右ストライキの当日、所定の労働を行い、かつ工場内において、職場大会及び団体交渉を行うから、同組合の組合員証呈示者についてはピケラインを通過させて貰いたい、なおその際暴力を振つたり、無用の説得をしたりすることは止められたい旨の申入をなした。

原告組合は、ストライキの決行に当り、全組合員を七ケのピケ隊に編成して前記相模工場の南門、西門、乾門(厚生病院前及び薄野門)、東門、第八工場及び鶴見工場を夫々配置して第二組合員及び第三組合員の入門に際し、その説得をする手筈を整えていたが、同月二日夜地労委に会社側及び原告組合側双方が招致されて、会社回答の一時金とは例年支給すべき越年資金の前喰ではないかという誤解が組合員のなかにあるようであるから、越年資金の団体交渉を同時に行つてはどうかとの勧告を受けたので、労資共にこれを了承し、同月三日午前二時頃から、会社内で団体交渉を行つたところ、労資双方が譲歩した結果、同日午前六時頃に至り、同年七月一日から八円三十七銭を職務給に繰入れ、同日から昭和三十年一月末日までの職務給一円四十三銭相当分を特別手当として支給し、その配分及び同年二月以降における特別手当の取扱については、別途に協議する旨の最終案に達した。

そこで、原告組合の最高闘争委員会は、これを中央闘争委員会の議にかけて、その承認を得ればストライキを回避できる見通しを得たので、当時既に前記の予定のとおりピケ配置に就いていた中央闘争委員を緊急招集し、午前六時五十分頃から審議を開始し、かたわら、午前六時三十分頃折柄原告組合員によるピケラインを突破して入門すべく、その前に集結中の第二組合及び第三組合の幹部に対し、文書を以て、原告組合は目下中央闘争委員会を開催して、右団体交渉の最終案を審議しており、午前七時三十分頃にはその決定をみる見込であるから、右情況を判断の上処置するよう要請する旨の申入をなし、以て右中央闘争委員会の最終決定予定時刻である同日午前七時三十分までの間ピケを強行突破するような行動を避けられたい旨懇請したのに拘らず、第二及び第三組合の組合員は、折柄これに実力を以て応援してた来た警官隊の力をたのみ、遂に強行突破の行動に移つた。当時原告組合は、中央闘争委員会が右最終案を審議中であつたが、第二組合及び第三組合によつてピケを突破されては、それまでの闘争態勢が根底から覆つてしまうこととなるため、ここに万策つきて、とりあえず第一日目のストライキを決行することとし、中央闘争委員は、一旦各そのピケ隊に戻り、各その所属隊員の前記最終案に対する意見を徴し、これを持ち寄つて同日午後中央闘争委員会を再開して結論を出すことに決した。

その頃、第八工場正門前附近に第二組合員約三十名が集結して入門しようとしたので、同所のピケ隊員がこれに対して説得を行つたが、その幹部がどうしてもこれに応じないため、更にその反省を促しているうちに、折柄来会していた神奈川県警察機動隊長が独断を以て、説得行為は既に終つたとして、ピケ隊に対し、その解除を要求し、午前八時頃、その指揮にかかる警官隊に対し、「第一小隊前へ」という号令をかけて、警察自動車を先頭に立てて、スクラムを組んだピケ隊員の中に突入させ、警官隊は、警棒と土足を以て、ピケ隊員に殴る、蹴るなどの暴行を加えてこれを制圧し、後退させられたピケ隊員は、スクラムを組んだまま路上に坐り込まされてしまつた。この時、原告組合の戦術委員会副委員長遠藤巌がかけつけて、右機動隊長に対し、今原告組合と第二組合の組合長が話合つているから間もなく解決する見込だというと、警官隊は後退し、ピケ隊に対し、軍用自動車の通行を妨げないよう通路を開くべ年ことを指示して、午前十時頃撤退したが、右警官隊の突入の際、原告平本は、ピケ隊の第三列目を暴力によつて突破して来た警察官によつて、両手で握つた警棒を以て、その咽喉部を押えつけられた上、胸部を圧され、よつて全治三日を要する肋間神経痛及び咽喉炎の傷書を受け、原告日高も前同様ピケ隊の第三列目に並んでいたところ、警察官によつて、警棒を握つた拳を以て、その胸部を衝かれ、よつて全治二日を要する左第八肋骨部打撲傷の傷害を受け、原告村山も同所において、警察官によつて両手で握つた警棒を以て、その胸部を衝かれ、よつて全治七日を要する左胸部挫傷の傷害を受け、原告後藤も同所において、警察官に警棒を以てその胸部を突きとばされ、よつて全治十日を要する右胸部打撲傷の傷害を受け、又原告有泉は、前記ピケ隊の最前列の中央部でスクラムを組んでいたところ、前記機動隊長の「第一小隊前へ」という号令一下、一列横隊に展開し、警棒を前面に突き出して突進して来た警察官のうちの何ものかによつて警棒を以て胸部を突かれ、よつて全治七日を要する左胸部挫傷の傷害を受けた。

他方相模工場南門前においては、午前八時頃、第二組合員約二百名が集結して入門しようとしたので、原告組合代表者近藤誠及び書記長幸田仁太郎等が第二組合の幹部を説得していたところ、午前九時三十分頃、右第二組合員が突如西門に向つて走り去り、なだれを打つて西門に殺到したので、同所においてピケ隊員と乱闘状態に陥つたが、程なくピケ隊の責任者稲富信義は、第二組合の執行委員嘉山秀男に申し入れ、両組合員を引き合けさせ夫々正しい位置につかせた上で交渉することにして、ピケ隊員を西門前の鉄道線路の西側に、第二組合員を同所附近の日本通運株式会社相模原支店(以下日通支店という)前に集合整列させた。

この時、折柄来合せていた越前谷署長が原告組合の幹部に対し、第二組合員が就労のため入門しようとする以上、就労権があるのであるから、警察は実力を行使しても第二組合員を入門させる旨主張したので、原告組合側がその不当をなじつたところ、同署長は、それでは双方二、三名宛の代表を出して交渉せよというので、原告組合からは、稲富、木場、服部、第二組合からは、井上、嘉山、嘉村等が代表として出て交渉を開始したところ、突如同署長及び前記機動隊長が介入して来て、説得時間を十分間とする旨宣言し、その後十分間経過するや、右機動隊長の指揮の下に、警官隊が警察自動車を先頭にして、警棒を振つてピケ隊に突入し、約三十分間にわたり、ピケ隊員に殴る、蹴るなどの暴行を加え、ピケ隊の稲富信義が組合本部の指令により、ピケの解除を命ずるに及んで、漸く警官隊も撤退したが、その際、原告稲永は、ピケ隊の前列にいたが、ピケ解除の指令により、ピケ隊員がピケを解除しようとした時、眼前において警官隊がピケ隊員の検挙を始めたので、その不当をなじつたところ、警察官が突如「何をいう」かといつて、手にしていた警棒を以て下から同人の胸を突き上げ、よつて全治七日を要する右胸部打撲傷の傷害を受け、原告高橋は、ピケ隊と警官隊とが混乱している間に、警察官によつて、手にしていた警棒を以て、前額部等を殴りかつ突かれ、よつて全治七日を要する前額部挫傷の傷害を受け、原告山本は、ピケ隊の中央部にいたが、警官隊がピケ隊に突入した際、ピケ隊の後列の者から前方に押し出されたところを、警察官によつて、手にしていた警棒を以て、眼部及び頭部を殴られ、よつて全治十四日を要する左涙のう周囲炎の傷害を受け、又原告小山は、坐り込んでいたピケ隊員をめがけて警棒を前面に突き出して押し寄せて来た警官隊のうちの一人の突き出た警棒を手を以て押えたところ、その警察官に右手拳を以て顔面を二度殴りつけられ、よつて全治七日を要する右顔面挫傷の傷害を受けた。

以上のとおり、原告組合以外の原告等は、前記警察官の所為によつて、その身体を侵害され、ために精神上多大の苦痛を蒙つたが、その慰藉料としては諸般の事情から右原告等各人につき、金五万円を以て相当とする。

又原告組合は、右警察官の暴行によつてその負傷者に対し、組合の規定に基き、見舞金として合計金一万九千五百円の支出をすることを余儀なくされ、同額の損害を蒙つた外、前記のような事情の下に、警察官によつて突如説得時間十分間という不法な制限を加えられ、その時間を超過して説得していたところ、実力を以てこれを阻止されたばかりか、更に暴力によつてピケラインを突破されるなどその争議権の行使を不法に侵害されたため、かような干渉がなかつたならば、右争議によつて会社に対する前記の要求を貫徹し得た筈であるのに、何等その要求を実現し得ず、多額の争議費用を無為に費消し損害を蒙つたが、右見舞金と右争議費用との合計額は金七十万円を下らない。

しかして原告等の右損害は、公共団体である被告神奈川県の公権力の行使に当る前記警察官がその職務を行うについて、故意又は過失によつて原告等に与えたものであるから、国家賠償法により、被告はこれが賠償をなすべき義務がある。

よつて被告に対し、原告組合以外の原告等は各金五万円、原告組合は金七十万円並びに右各金員に対する本件訴状送達の日の翌日である昭和三十年六月二十六日以降支払済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるため、本訴請求に及ぶ。

と述べ、

立証として、甲第一ないし第八号証及び第九号証の一ないし四を提出し、甲第九号証の一ないし四はいずれも昭和二十九年十二月三日の相模工場西門前における状況でその内同号証の一、二はいずれも警官隊がピケラインに突入する直前の状況、同号証の三、四はいずれも乱闘となつた際の状況で、同号証の四は原告高橋が傷を負つている状況を撮影した写真であると延べ、証人幸田仁太郎、同佐村木重雄、同清水力益、同加藤光雄、同細野直司、同井上復三郎、同渡辺久長、同稲富信義、同椎名勝平、同深田日出雄、同譲原四郎、同渡辺清次郎の各証言並びに原告本人日高進、同後藤嘉一、同有泉正次、同稲永右門、同高橋祐吉、同山本瑞男、同小山実及び原告組合代表者近藤誠の各尋問の結果並びに検証の結果を援用した。

被告訴訟代理人は、原告等の請求を棄却する訴訟費用は原告等の負担とする、との判決を求め、答弁として、

原告主張事実中、昭和二十九年十二月二日、原告組合の代表者近藤誠及び執行委員木場幸男が越前谷署長を訪れ、闘争経過を説明し、ストライキ突入の旨を伝えたので、その際同署長が原告組合に対し、原告主張のようなピケに関する十項目の注意事項を申し渡したところ、右近藤等は、そのうち第七項目については応諾することができないが、その他については概ねこれを了承する旨答えたこと及び同月三日、相模工場西門において、原告組合と第二組合の夫々の代表者が交渉をしたことは認めるが、同日、原告組合が中央闘争委員会を開催して団体交渉の最終案を審議中、第二組合及び第三組合の組合員が警官隊の応援を得て、ピケラインの強行突破の行動に移つたこと及び警官隊がピケ隊員に対し暴行を加えて、原告組合以外の原告等にその主張のような傷害を負わせ、又原告組合の争議権を侵害したことは否認する。その余の事実は知らない。

前記越前谷署長は、原告組合のストライキに際し、第二組合及び第三組合の組合員の入門をめぐつて紛争の生ずること予想されたので、同月二日、前記のとおり、原告組合の幹部に対し、ピケに関する十項目の注意事項を申し渡して、ピケツテングの正当性の限界を明かにし、更に、万一原告組合において違法な行為をするならば実力を行使してこれを排除する旨厳重に警告し、又第二組合及び第三組合の各幹部に対しても、原告組合の説得行為に対しては、話合の機会を持ち、話合が決裂しても暴力に訴えることは絶対に避けるように事前に警告した。

同月三日午前八時頃、第八工場正門前においては、原告組合のピケ隊が門前の道路上に、第一線約百名、第二線及び第三線各百五十名の三段にピケを張つて道路を完全に閉鎖し、第二組合員四、五十名がその前面に整列して、ピケ隊員と入門の交渉をしていたが、午前八時二十分頃、右交渉が決裂したため、第二組合員がピケラインを突破して入門しようとして、両者相入り乱れてのもみ合が始つた。当時警察は、不穏事態の発生に備えて現場附近に機動隊約六十五名を待機させていたが、頭初から労働争議には介入しないという立前をとつて警察力を行使することは極力避ける方針であつたのであるが、右のとおり、ピケ隊が道路を閉鎖して交通をしや断しているのみならず、警察側が再三警告を発してもなおもみ合の状態が続いているので、止むなく機動隊を両組合員のもみ合の中に割り込ませて、両者を一応引離したにすぎない。

又同日朝、相模工場の南門前においては、原告組合のピケ隊約四百名がスクラムを組み労働歌を唱つており、又第二組合員約二百名が近くの組合事務所前に集結し、両組合の幹部が現場で交渉を行つていたが、その交渉は決裂し、第二組合の幹部から再度警察に対し、就労のため入門したいから警察の保護を願いたい旨の申入があつたが、警察は、労働争議不介入の方針の下に、事態を注視しながら警戒に当つていたところ、午前九時三十五分頃、右第二組合員約二百名が西門から入門しようとして、突如西門に向つて走り去り、西門前でピケを張つていた原告組合員約四百名の中に突入して入門しようとしたが南門のピケ隊員が之を追つて合流したため三者入れ乱れて殴り合いの乱闘状態に陥り、右乱闘によつて両者共若干の負傷者を出した後午前十時過ぎ、騒ぎは一応静まつたが、第二組合員はあくまで入門の意思を捨てず、又原告組合のピケ隊員もこれを阻止すべく続々西門前に集結して来た。そして、このまま放置するならば、再び乱闘状態に陥ることは必至の情勢にあつたので、当時現場で指揮に当つていた神奈川県警察本部警備部警羅交通課長白根市蔵(以下白根課長という)及び前記越前谷署長は、できる限り警察力の行使を避けたい方針から、原告組合及び第二組合の各幹部に更に話合をしてみるようにあつ旋したところ、両者共一応これに応じて交渉をしていたが、程なく第二組合の幹部が、交渉が決裂したから、第二組合員の入門について援助を仰ぎたいと要請して来た(なお原告は、右交渉の際、警察官が介入して説得時間を制限したと主張するが、かような事実はない)。そのうち第二組合員が隊列を整え、ピケを突破して入門しようとするや、これを注視していたピケ隊約八百名が突然喚声を上げて西門前の道路を閉鎖し、交通を完全にしや断し、警察の警告にも耳をかさず、まさに両組合員が大乱闘寸前の状態となつた。そこで、警察は、その独自の立場から、かようなピケ隊の威力業務妨害のおそれのある状態と両組合員の乱闘による急迫した不穏状態を排除するため、遂に実力を行使するの止むなきに至つたのである。しかし、原告の主張するような警察官による暴行の事実はない。

以上のとおり、警察は原告組合のストライキに際し、紛争の生ずることが予想されたので、原告組合及び第二、第三組合に事前に警告を発して、不穏事態の発生の防止と両者間の円満な話合による解決を促し、又ストライキの当日、原告組合と第二組合との交渉が再三決裂し、その都度第二組合は警察に対し、入門につき保護を要請してきたが、警察はあくまで労働争議不介入の方針を堅持し、警察力の行使を極力避けるため、両組合の話合についてそのあつ旋の労をとつたもので、決して両者の交渉に干渉したり、その時間を制限したりしたことはなく、ましてや原告組合の争議権を侵害したことなど全くない。

又原告組合以外の原告等の傷害については、前記のとおり、ストライキの当日、原告組合員と第二組合員とが乱闘した事実があるので、これが警察官の行為によるものと断定できないことはもとよりであるが、仮に原告主張のとおり、これが警察官の行為によるものであるとしても、本件の場合のように、原告組合員が警察の再三の警告にもかかわらず、多数を擁して違法なピケを張り、警察がその違法状態を排除しようとするや、激しくこれに抵抗したような場合、警察において、これを制圧するため或程度の実力を行使することは止むを得ないところであり、その実力行使によつてたまたま相手方に傷害を与えるような事態が生じたとしても、これを以て故意又は過失による違法な行為ということはできず、従つて、被告において国家賠償法上の責任を負うべきいわれはない。

と述べ、

立証として、証人越前谷正雄(第一、二回)、同窪田初雄(第一、二回)、同笠井示勝、同白根市蔵、同保坂要一、同矢野義郎、同猪狩亀明、同瀬野久野、同大熊善夫、同嘉山秀男の各証言を援用し、甲号各証はいずれも不知と述べた。

理由

先ず本件紛争に至るまでの経過についてみるに、証人幸田仁太郎、同佐村木重雄、同稲富信義、同越前谷正雄(第一回)及び同猪狩亀明の各証言並びに原告組合代表者近藤誠の尋問の結果を総合すれば、相模工業株式会社は、相模原市矢部新田所在のY、E、D相模工場、同市渕野辺所在の第八工場及び横浜市鶴見区大黒町所在の鶴見工場等の米軍施設において、米軍の指示により軍用車輌の再生修理作業等に従事する従業員の労務を供給することを目的とする会社であつて、昭和二十九年十二月当時、右会社には、従業員総数約六千八百名中、約五千三百名を以て組織されている原告組合及び約四百名を以て組織されている第二組合並びに約八十名を以て組織されている第三組合とがあつたこと、原告組合は同年二月以来、会社に対し賃上の要求をして来たが、会社がこれに応じなかつたため、同年十一月末、地労委にそのあつ施を申請したところ、地労委は、同月二十七日、同年七月一日以降現行職務給を平均九円八十銭増額する案を双方に示したので、原告組合はこれを受諾したが、会社は米軍との間の契約単価の改訂が未だなされていないことを理由にして、右あつ施案に対する回答期限である同月三十日正午までに回答せず、同年十二月二日に至り、右九円八十銭中、八円三十七銭を職務給として増額し、残り一円四十三銭は、同年七月一日から昭和三十年一月末日までの分約二千円を一時金として支給する旨の回答をしたので、原告組合はこれを不満として、右あつ施案の完全な実施を要求するため、昭和二十九年十二月三日午前六時から九十六時間のストライキを決行することに決し、直ちに会社及び米軍関係等にその旨を通告したこと、又原告組合は、かねてから第二組合及び第三組合に対して、原告組合の前記賃上要求に協力するように要請して来たが、右両組合はいずれも原告組合に対し現段階においては、賃上のための強力闘争を行うことは時期尚早であるから同調できない旨の態度を示し、更に第二組合は、原告組合がストライキを決行することに決するや、原告組合に対し、文書を以て、第二組合員は右ストライキの当日、所定の労働を行い、かつ工場内において、職場大会及び団体交渉を行う予定であるから、第二組合員の入門を阻止したり、無用の説得をしたりすることは遠慮されたい旨の申入をなしたこと、他方越前谷相模原警察署長は、同年十二月二日、原告組合がストライキ突入に決したことを知るや、直ちにこれを神奈川警察本部に報告し、不穏事態の発生に備えて同本部に機動隊の出動を要請すると共に、原告組合の代表者近藤誠及び執行委員木場幸雄を同警察署に招致し、概略原告主張のようなピケに関する十項目の注意事項を申し渡したところ右近藤等は、そのうち第七項目以外の事項は概ねこれを了承するが、同項目のピケの際の平和的説得行為の限界に関する警察の見解には承服し兼ねる旨答えた(この点は当事者間に争がない)ので、越前谷署長は、警察としては、右に違反する行為は違法と解するから、万一原告組合がこれに違反した場合には、実力を行使してその違法状態を排除する旨警告しこと、その直後、第二組合及び第三組合の各責任者が相前後して同警察署を訪れ、同署警備係長松井警部補に対し、右各組合は、原告組合のストライキに同調せず、当日就労することに決定しているから、万一原告組合によつて入門を阻止された場合には、警察の保護を求めたい旨申し出たので、同警部補は、原告組合の説得行為に対してはできる限り話合の機会を持ち、万一これが決裂しても暴力を振うことは絶対に避けられたい、なお、入門しようとするときには現場配置の警察官にその旨を述べて貰いたい旨注意し、なるべく原告組合との話合により、平和的に事を解決するように要望したこと、原告組合はストライキの決行に当り、全組合員を数ケのピケ隊に編成して、前記相模工場の南門、西門、乾門、東門及び第八工場の正門等に夫々配置して、第二組合員及び第三組合員の入門を阻止すべく手筈を整えていたところ、同年十二月二日午後、会社及び原告組合員双方が地労委に招致され、前記の会社回答の一時金の性格につき、組合の間に、これが例年支給すべき越年資金の前喰ではないかという誤解があるようであるから、この際越年資金の団体交渉も同時に行つてはどうかとの勧告を受けたので、労資共にこれを了承し、同月三日午前二時頃から、会社内で団体交渉を行つたところ、労資双方が譲歩した結果、同日午後五時頃に至り、同年七月一日から八円三十七銭を職務給に繰入れ、同日から昭和三十年一月末日までの職務給一円四十三銭相当分を特別手当として支給し、その配分及び同年二月以降における特別手当の取扱については、別途に協議して定める旨の最終案を得たこと、そこで原告組合の最高闘争委員会は、これを中央闘争委員会の議にかけて、その承認を得ればストライキを回避できる見通しを得たので、当時すでに前記の予定のとおり、ピケ配置についていた中央闘争委員約百名を原告組合の事務所に緊急招集して、午後六時三十分頃からその審議を開始すると共に、第二組合及び第三組合の各代表者に対し、文書を以て、原告組合は目下中央闘争委員会を開催して、右団体交渉の最終案の審議をしており、約一時間後にはその決定をみる見込であるから、それまでは入門を強行することは避けて貰いたい旨要請したこと及び右中央闘争委員会においては、右最終案を以て団体交渉を妥結し、ストライキを回避すべきであるという意見も有力であつたが、折柄相模工場の南門等に第二組合員が集結し、ピケラインを突破すべく準備中であるとの報告が入つたため、委員会の空気は先鋭化し、その結果審議はひとまず中止し、右最終案を全組合員に報告してその意見を徴した上後刻中央闘争委員会を開いてこれを決することとし、とりあえず第一日目のストライキを決行することに決したことを認めることができる。

そこで、本件紛争の状況及びこれに警察官が介入するに至つた状況について判断する。

先ず第八工場正門前の状況についてみるに、原告本人日高進の尋問の結果により真正に成立したものと認め得る甲第二号証、同後藤嘉一の尋問の結果により真正に成立したものと認めうる甲第四号証、同有泉正次の尋問の結果により真正に成立したものと認め得る甲第五号証並びに証人佐村木重雄、同清水力益、同加藤光雄、同井上復三郎、同渡辺久長、同細野直司、同越前谷正雄(第一回)、同窪田初雄(第一回)、同笠井示勝及び大熊善夫の各証言並びに原告本人日高進、同後藤嘉一、同有泉正次の各尋問の結果(右各証言及び本人尋問の結果中後記認定事実に反する部分を除く、その部分を信用しない)並びに検証の結果によれば、第八工場は国鉄横浜線渕野辺駅の東方千二、三百米の地点にあつて、その北西側に正門があり、右正門と同所の北西方約百四十六米の地点において西南方から東北方に通ずる国道との間には、巾員約九米二十糎の右工場の専用の道路(以下専用道路という)があつて、右道路の両側は畑地になつていること、昭和二十九年十二月三日午前七時頃、右正門前においては、第二組合員約四十名が就労のため入門しようとして同所に集つたが、原告組合員約四百名が数隊に分れて専用道路上にピケを張り、これを閉鎖していたため、入門することができず、その後第二組合の大熊善夫等が原告組合の幹部である佐村木重雄等に対し、再三第二組合員は就労しようとしているのであるから是非入門させて貰いたい旨申し入れたが、原告組合側はあくまでこれに応じなかつたため、午前八時頃、第二組合員がピケラインを突破して入門すべくピケ隊に接近し、両者間に小競合が始つたので、折柄越前谷署長の命により警備及び情報収集のため同所に派遣されていた相模原警察署員笠井示勝等は、直ちに電話で右情況を同署長に報告して応援を求めると共に、両組合員の間に分け入つて両者を一応引き離したこと、当時越前谷署長は、同署渕野辺警部派出所を警備本部として、応援のため神奈川県警察本部から出動した警視窪田初雄(以下窪田隊長という)の指揮する機動隊(二ケ小隊、総員七十数名)と共に、警備本部で待機していたが、前記笠井示勝から前記のとおり情況報告を受けるや、直ちに窪田隊長と共に右機動隊を卒いて自動車で第八工場正門前に出動したところ、原告組合員はその数を増し千名位が数列に分れ専用道路上に横隊に並んでピケを張つて右道路を完全に閉鎖しており、又専用道路と国道との交さ点附近には、第二組合員数十名が集結してピケ隊と相対立し、その間には険悪な空気がみなぎつていたこと、機動隊が現場に到着するや、第二組合の幹部が越前谷署長に対し、第二組合員は皆就労しようとしているから、入門できるようにして貰いたい旨申し出たので、同署長は、先ず広報活動により原告組合員にピケを解除するように説得しようとして、機動隊の広報車から拡声器で、道路を閉鎖して第二組合員の入門を阻止することは違法であるから、ピケを解除されたい旨再三放送させたが、原告組合員は一向にこれに応ぜず、そのうち第二組合員数十名が再びピケラインを突破して入門すべくピケ隊に向つて前進し、両者がピケ隊の最前列附近でもみ合を始めたこと、そこで、越前谷署長及び窪田隊長は直ちに機動隊の一部を両組合員の間に入れて、両者を引き離したが、かように原告組合員が警察の再三の警告にもかかわらず、道路を閉鎖して第二組合員の入門を違法に阻止している以上、実力を行使してこの違法状態を排除する外はないと決意し、午前八時三十分頃、機動隊の第一小隊をくさび形の態勢にして、国道方面から専用道路上のピケ隊に向つて前進させ、その後方に広報車一台を更にその後方に第二小隊を追従させ、広報車からは拡声器で絶えず、警察官に抵抗すれば公務執行妨害罪になるから、警官隊の前進を妨げないようにされたい旨放送し、機動隊員は警棒を構えてピケ隊員の抵抗を排除しつつ除々に、右正門前の植込の附近まで前進したところ、多数のピケ隊員がその場に坐り込んで了つたので、機動隊も前進を停止したが、その時原告組合の幹部佐村木重雄が越前谷署長に対して、ピケ隊員を道路の両側に整列させて通路を空けるようにするから、警察側も後退して貰いたい旨申し入れたので、同署長及び窪田隊長もこれを了承し、機動隊を十米程後退させたところ、ピケ隊が専用道路の両側に整列したので、同署長等は、ピケ隊に対し、道路をこのままの状態にしておいて貰いたい旨警告した上、午後九時過頃、機動隊を率いて同所から引揚げたこと及び原告平本、同日高、同村山、同後藤及び同有泉等は、いずれも当時原告組合員で、右ピケ隊に参加していたものであるが、右機動隊がピケ隊の抵抗を排除しつつ前進した際、原告日高(当時三十九年)は、ピケ隊の第三列目に並んでスクラムを組んで機動隊員に立ち向いその前進を阻止すべく備えていたところ、之を突破しようとして、警棒を両手で構えて前方に迫つた一機動隊員と揉合う中、同隊員の警棒を握つた右拳が同原告の左胸部を強く圧し、之が為加療約六日を要する左第八肋骨部打撲傷の傷害を受け、原告後藤(大正三年生)も右同様ピケ隊の第三列目に並んでスクラムを組んでいたところ、一機動隊員に両手で握つた警棒を縦にし、その先端を以て右胸部を突き上げられ、よつて安静加療約十日を要する右胸部打撲傷の傷害を受け、又原告有泉(大正三年生)は、右ピケ隊の最前列に並んでスクラムを組んでいたところ、前進して来た一機動隊員と衝突し、互いに激しく押合を続けるうち、相手方隊員の警棒により左胸部を強く圧迫され、之により加療約七日を要する左胸部挫傷の傷害を受けたことを認めることができる。右認定を動すに足りる証拠はない。

原告等は、右第八工場正門前において、原告平本は一警察官に警棒を以て咽喉部及び胸部を圧されて、全治三日を要する肋間神経痛及び咽頭炎の傷害を受け、又原告村山は一警察官に警棒を以て胸部を衝かれ、全治七日を要する左胸部挫傷の傷害を受けた旨主張するけれども、証人清水力益及び同細野直司の各証言中には右主張事実に符合する部分があるけれどもこれ等を以てしては未だ右主張事実を認むるに十分ではなく、他には右事実を肯認するに足る証拠はない。

次に、相模工場南門前及び西門前の状況についてみるに、原告本人稲永右門の尋問の結果により真正に成立したものと認め得る甲第六考証、同高橋祐吉の尋問の結果により真正に成立したものと認め得る甲第七号証、同山本瑞男の尋問の結果により真正に成立したものと認め得る甲第八号証並びに証人幸田仁太郎、同稲富信義、同椎名勝平、同深田日出雄、同譲原四郎、同渡辺清次郎、同越前谷正雄(第二回)、同窪田初雄(第二回)、同白根市蔵、同保坂要一、同矢野義邦、同猪狩亀明、同嘉山秀男の各証言及び原告本人稲永右門、同高橋祐吉、同山本瑞男、同小山実及び原告組合代表者近藤誠の各尋問の結果(右各証言及び本人尋問の結果中後記認定事実に反する部分を除く、その部分は信用しない)並びに検証の結果によれば、相模工場南門は、国鉄横浜線相模仮駅の東北方十米の地点にある同工場の通用門であり、又同工楊西門は、右相模仮駅から横浜線に沿つて西北方に約千百米進んだ地点にあり、同所から西南方相模原市上溝方面に向つて、巾員約三十四米の中央部を舗装した道路が通じており、西門から約四十五米離れた右道路の西側に面して日本通運株式会社相模原支店があること、昭和二十九年十二月三日午前七時三十分頃までに、第二組合員約三百名が次々に南門前に集まり、同門から入門しようとしたが、原告組合員五、六百名が同門前にピケを張り、通路を閉鎖しているために入門することができず、前記相模仮駅の西南側にある第二組合事務所前に集合し、第二組合の書記長猪狩亀明等が原告組合の書記長幸田仁太郎等に対し、その場で、第二組合員を入門させるように再三懇請したが、原告組合側がこれに応じなかつたこと、その間、第二組合員は、折柄警備及び情報収集のため同所に派遣されていた相模原警察署員保坂要一等に対し、第二組合員が入門できるように警察で保護して貰いたい旨再三申し出たので、同人は、其の都度電話でこれを前記警備本部に報告したこと、しかるに、午前九時過頃、前記第二組合事務所前に集結していた同組合員約三百名が、ピケの比較的手薄な西門から入門しようとして、四列縦隊に整列して突如西門に向つて走り出したため、これを阻止しようとして南門前のピケ隊の内約百五十名の者がこれを追跡し、西門前において、同所でピケを張つていた原告組合員約七百名の内の一部と南門前から走つて来た第二組合員及びこれを追跡して来た南門前のピケ隊員とが忽ち乱闘状態に陥つたが(この時若干の第二組合員がピケラインを突破して西門から入門した)、程なく西門前のピケ隊の責任者稲富信義及び第二組合員の執行委員嘉山秀男が話合の上、一応両組合員を引き分けさせ、両者を正しい位置に整列させた上であらためて交渉することに決め、拡声器でくり返し両組合員に呼びかけて両者を引き分けさせ、原告組合員を西門前の道路上に、又第二組合員を日通支店前にそれぞれ集合させたこと、その後、同所附近において、原告組合と第二組合の各幹部が第二組合員の入門について重ねて交渉したが、原告組合側が第二組合員の入門を拒否したため、遂に交渉が決裂したところ、午前十時過頃、折柄状況視察のため、前記白根警羅交通課長が西門前に到着し、又これと相前後して越前谷署長及び窪田隊長の指揮する前記機動隊も同所に到着したので、第二組合の嘉山執行委員等は、越前谷署長等に対し、第二組合員は皆就労しようとしているのであるから、是非共入門できるように援助して貰いたい旨申し入れをなし、同署長は、ピケ隊の前記稲富等を呼び出し、就労の意思のある第二組合員の入門をピケを以て阻止することは違法であるから直ちにピケを解除されたい、若しこれに応じない場合には、警察において実力を行使してピケを排除する旨の警告を発したが、同人等は、第二組合員を入門させることは絶対にできない旨答えて、これに応じなかつたこと、越前谷署長及び白根課長等は、その後暫く状況を注視していたところ、原告組合員は数隊に分れ、西門前の道路上にピケを張つて、第二組合員の入門をあくまでも阻止しようとしており、又第二組合員は、日通支店前に集結していたが、組合員の間には組合幹部の態度が消極的であるとしてこれを非難する空気が見受けられ、このまま放置するならば、再び第二組合員がピケラインを突破しようとして混乱の生ずるおそれがあると判断されたので、午前十時二十分頃、原告組合と第二組合の幹部を呼び寄せて両者間の話合によつて平和的に事を解決するように勧告したところ、両組合幹部が右道路上で暫くの間交渉していた(この点は当事者間に争がない)が、午前十時三十分過頃、第二組合の幹部が越前谷署長等に対し、原告組合との交渉は決裂した、第二組合員は就労しようとしているのであるから、入門できるように保護して貰いたい旨申し出たこと、そこで、越前谷署長、白根課長及び窪田隊長等は、かように原告組合員が警察の再三の警告にもかかわらず、違法なピケを設定して第二組合員の入門を阻止している以上、実力を行使してこの違法状態を排除する外はないと決意し、先ず広報車から拡声器で、ピケ隊員に対し、原告組合のピケは違法であるから、警察は只今から実力でこれを排除する旨放送したところ、ピケ隊は、前記道路を完全に閉鎖し、スクラムを組み、気勢を上げて警官隊の前進を阻止する態勢を示したので、警察側は、機動隊の第一小隊を先頭に、その後に広報車を、更にその後に第二小隊を追従させる態勢をとり、右機動隊の左側にこれと平行して第二組合員を並ばせて、前記日通支店前附近から前記道路上を西門に向つて、機動隊員は警棒を構えてピケ隊の抵抗を排除しながら徐々に前進したが、ピケ隊の抵抗は意外に激しく、機動隊員めがけて投石する者などもあつて、容意に前進できなくなり、そのうち第二組合員はピケ隊に押し返えされて後退し、先頭の機動隊もまたピケ隊に前進を阻まれ混乱に陥つたので、広報車上で指揮に当つていた白根課長は、直ちに第二小隊を広報車の前へ出して、第一小隊と合流させ、暫くの間、ピケ隊と激しい押合を続けていたところ、午前十一時頃、たまたま工場内から米軍用の大型自動車一台が右道路上に進行して来たため、ピケ隊も機動隊も押合を中止してその通路を空けると同時に、ピケの責任者稲富信義が組合本部の指令に基き、ピケ隊員にピケの撤収を命じて、これを後退させたので、機動隊もまた日通支店前附近迄後退し、程なく警備本部に引揚げたこと及び原告稲永、同高橋、同山本、同小山等はいずれも原告組合員で右ピケ隊に参加していたものであるが、原告稲永(当時三十九年)は、前記のピケ撤収の命令が発せられた頃、眼前で機動隊員がピケ隊員を検挙しようとしたので、その不当をなじつたところ、一機動隊員に警棒を以て胸部を突き上げられて、加療約七日を要する右前胸部打撲傷の傷害を受け、原告高橋(当時三十四年)は、他のピケ隊員とスクラムを組んで機動隊員と押合を続けていたところ、前面にいた一機動隊員に警棒を以て前額部を殴られて、加療約七日を要する前額部挫傷の傷害を受け、原告山本(当時二十九年)は、当初ピケ隊の中央部にいたが、ピケ隊と機動隊とが押合を始めた際、ピケ隊の後列の者に押されて前方に出たところ、一機動隊員の警棒が同原告の左眼部に強く触れて加療約十四日を要する左涙のう周囲炎の傷害を受けたことを認めることができる。そして、右認定を動かすに足りる証拠はない。

原告等は、相模工場西門前におけるピケ隊と警官隊との乱闘の際、原告小山が一警察官に手拳を以て顔面を殴打され、全治七日を要する右顔面挫傷の傷害を受けた旨主張するけれども、証人譲原四郎の証言及び原告本人小山実の尋問の結果を以てしては、未だ右主張事実を認むるに十分ではなく、他には右事実を肯認し得るに足る証拠はない。

よつて、原告組合以外の原告等の請求の当否について案ずるに、原告平本、同村山及び小山については、同原告等がその主張のとおり、警察官によつて傷害を加えられた事実を認めるに足る証拠のないことは前記のとおりであるから、同原告等の本訴請求はその余の点を判断するまでもなく失当であるから、これを棄却すべきである。

次に証人窪田初雄の証言(第一回)によれば、警察において定めた警棒の操法によれば警察官が警棒を使用して前進する場合は、左手を以て警棒の上を、右手を以て警棒の下を握り、左手を肩の高さと同じにし、肩との距離を十糎あけるべきものとされ、若し前方から押された場合には、警棒を横にして握るものとされ、いかなる場合にも警棒を片手で使用することは許されないことを認めることができる。したがつて前記認定事実によれば、原告日高及び同有泉と各相対した警察官が、同原告等において傷害を受けた際右警棒の操法に違反しなかつたことは之を了解することができるというべきである。元来右警棒の操法はいわゆるピケツトラインを排除しようとする場合のごとく、何等武器を所持せず且積極的に反抗する態勢を示さず、単に多数を恃み、スクラムを組んで故ら通路の障害となり、他人の通過を阻止しようとする相手方との関係において、警察官自らを防禦しつつ所期の効果をあげる反面無用の加害の発生することを防止しようとして工夫されたものと考えるべきであり、又右操法によれば一応右の目的を全うしうるものと理解することができるから、特に警察官の側における害意又は過失を推測せしめるような何等かの事情の認めるべきもののない本件においては、前記原告等の傷害は右警察官の故意又は過失に基くものということはできない。又原告山本と相対した警察官の警棒がいかなる事情の下に同原告の左眼部に触れるに至つたか、この事実については之を認めるに足りる証拠はなく、前記認定事実のみによつては右傷害の発生につき警察官の故意又は過失を認めるには足りない。したがつて、原告日高、同有泉及び同山本等の受けた傷害が夫々各警察官の故意又は過失に基くことを前提とする右原告等の本訴請求はその他の点につき判断を為すまでもなく理由のないことが明かであるから、これを棄却すべきである。

ところが、前記認定事実によれば原告後藤と相対した警察官は警棒を両手で握つていたが之を縦にしその先端で同原告の胸部を突き上げたというのであり、原告高橋と相対した警察官は警棒を片手に持つて同原告の頭部を殴打したというのであり又原告稲水に相対した警察官は既にピケツトラインの撤収が発令され、緊張状態が漸次緩和された際において些細のことに憤慨し警棒を用い殆ど無用の攻撃を加えたというのであるから、何れも警棒の操法に違背せることは明かであり、他に特別の事情の認めるもののない本件においては、前記認定事実のみから判断しても右原告等の傷害が各警察官の故意又は過失に起因するものと認めるのが相当である。そして右原告等は右傷害により精神上相当の苦痛を受けたと認めるべきであるが、同人等の年令、職業、傷害の部位及び程度その他諸般の事情を考慮するならば、同人等の右苦痛に対する慰藉料の額は、各人につき、金五千円を以て相当と認めるべきであり、右損害は、公共団体である被告神奈川県の公権力の行使に当る公務員(神奈川県警察機動隊員)がその職務の執行に当り、故意又は過失により違法に同人等に加えたものであるから、被告は、これを賠償すべき責任のあることは明らかである。

被告は、本件のように原告組合員が警察官の再三の警告を無視して、多数を擁して違法なピケを設定し、警察官がこれを排除しようとするや、激しく抵抗した場合警察において、これを制圧するため或る程度の実力を行使することは止むを得ないところであり、その実力行使によつて、たまたま相手方に傷害を与えたとしてもこれを以て故意又は過失による違法な行為ということはできない旨主張するところ、本件において原告組合のピケが違法であつて、実力を以てこれを排除した警察の行為それ自体は何等不法のものでないことは後記のとおりであるけれども、前認定のとおり本件においては、原告等が多数を擁して執拗に警察官の前進を阻止したとはいえ、原告等は兇器を手にして抵抗した訳ではなく、単にスクラムを組んでその前進を阻止し、或は素手で警察官を押し返したにすぎないか又は既にピケラインの撤収が発令され、緊張の状態から解放されたのに、一部の警察官が正規の警棒の操法に違反して又は不必要に警棒を以て、原告後藤、同稲永及び同高橋等の胸部を突き上げ、或いはその頭部等を殴りつけるなどして、前記の傷害を与えたものであるから、右の行為は、ピケ隊の抵抗を排除するに必要な実力行使の限界を超えた違法のものであるというべきであり、被告の右主張は採用の限りではない。

従つて、原告後藤、同稲永及び同高橋の本訴請求は、前記の義務の履行を求める限度において、正当であるからこれを認容し、その余の請求は失当であるから、これを棄却すべきである。

次に、原告組合の請求の当否について案ずるに、同原告は相模工場西門前において、原告組合の幹部が第二組合の幹部を説得中、警察官が突如介入してその説得時間を不法に制限し、原告組合の幹部がその時間を超過して説得していたところ、実力を以てこれを阻止し、更に暴力によつてピケラインを突破して原告組合の正当な争議権を侵害した旨主張するけれども、前認定のとおり、警察はできる限り警察力の行使を避け、平和的に事を解決させようとして、原告組合と第二組合の各幹部に対し、更に話合をしてみるように自ら勧告したのであつて、原告組合の主張のように、その説得時間を制限したり、その説得を阻止したりした事実はこれを認めることができず、又警察が原告組合員のピケを排除するため実力を行使するに至つた経過は、前認定のとおりであつて、原告組合員の設定した前記ピケは、原告組合員の言語による説得及び団結による示威にもかかわらず、就労のため入門しようとする第二組合員をあくまで実力を以て阻止しようとするものであるから、これがいわゆる「ピケツテングの平和的説得の限界」を逸脱した違法なものであることはいうまでもなく、従つて、第二組合員を入門させるため、実力を行使してこれを排除しようとした警察官の行為は、もとより正当であつて、これを以て原告組合の争議権を不法に侵害したものということのできないことは勿論である。又原告組合は、その組合員が警察官によつて傷害を与えられたため、組合の規定により、見舞金として、金一万九千五百円の支出を余儀なくされ、同額の損害を受けた旨主張するところ、原告組合員の一部の者が、警察官に傷害を与えられたことは前認定のとおりであるが原告組合がその見舞金を支払つたことを認めるに足る証拠はない。従つて、原告組合の本訴請求は失当であるから、これを棄却すべきである。

よつて、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八十九条、第九十二条本文及び第九十三条を適用して、主文のとおり判決する。

(なお本件においては、原告勝訴の部分につき、仮執行宣言を付することは、相当でないと認めるから、これを付さない。)

(裁判官 松尾巌 高澤広茂 松岡登)

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